先人に学ぶ~45DEGREES オーナー齋藤 誠治さん~

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メカニックにこだわるオートバイ店「45DEGREES」

ハーレーダビッドソンの専門店として知名度のある45DEGREESは、サーキットなどにも挑むというフィールドでの実力も証明されているバイク店です。
ドラッグレースにスポーツスターカップ、さまざまなレースに参戦し、その実力を世間に伝えてきました。

この45DEGREESを経営する齋藤 誠治さんは、レースで有名になる事、斬新なカスタマイズマシンを作る事が目的ではなく、彼のこだわり、このお店の働きは、ハーレーダビッドソンの専門店として高い技術を提供することにあるといいます。

個客が保有しているハーレーを完全に調整し、ハーレーに乗る方が少しでも愛車として長く愛用してくれるように、そのサポートこそ45DEGREESの役割だと強く考えています。
カスタムビルダー、チューナー、店舗経営者という立場ではなくあくまでもメカニックとしての誇りを持って、責任と役割をきっちり果たしていくべきという信念を持った方です。

小さい頃、バイクのりの大人に憧れた

お父さんが技術屋だったという齋藤 誠治さんは小さい頃から工具が身近にあったという生活環境で、休日になるとお父さんがラジコンのヘリや飛行機などを飛ばしていたといいます。
そこに影響され幼いころから工具に親しみ、なんでもばらばらにしてはお父さんに起られ、中学になって自然と自動車の整備工になりたいという夢を持ったそうです。

バイクにも興味を持つようになったのですが、当時、バイクに乗ると不良になる、暴走族になるからと親から猛反対されたようです。
結局18歳で中型二輪の免許を取得、レーサーレプリカが流行する中、同じ系統のバイクを購入しようと思ったらお店の方に免許取りたてでは売らないといわれ、扱いやすいVTZなら売ってやるといわれました。

結果、250ccのVTZを購入、そのお店でレーサーレプリカを売らないといわれた頑固おやじに何か引かれるものを感じ、お店に通うようになり、そのお店の親父さんが売るだけじゃなくお客の事を本当に親身になって考える職人気質の面にあこがれていたんだと気付いいたそうです。

こうした経験を通じて、今の齋藤 誠治さんのスタンスがあるのではないかと感じるエピソードです。

危険な目にあってもバイク店通いは止めなかった

若い時近くのワインディングを走り事故に遭遇、内臓破裂という大けがを負ったことでご両親はかんかんになり、バイクもなくなったのですが、頑固おやじがいるお店には通っていたという齋藤 誠治さんは、今のバイク店経営についてもこの頑固おやじさんの影響を強く受けているのではないかと思います。

齋藤 誠治さんは、この頑固おやじさんにバイクのお店を辞めたいって思う時はどんな時かわかるかと聞かれたそうです。
わからないと答えると、お客さんが亡くなる、大けがをした、こういう事を聞くとご家族になんとお詫びしたらいいかわからないと答えたそうです。

この言葉によって齋藤 誠治さんはこういうメカニックになりたいと現実に考えるようになったのだそうです。
現在、バイクに乗る人が快適に安全にバイクに乗れることが何よりと考えて経営している齋藤 誠治さんにはバイクを通じて、こんなに素敵で素晴らしい出会いがあったのです。