知名度の高いバイク店、驚異のカスタムショップと呼ばれるHOT-DOCK
沢山のオリジナルパーツを世に出してきたことでも知られるHOT-DOCKは、優れたパーツをリリースしてくれるショップとして、たくさんのライダーから愛されています。
カスタムショップがオリジナルのエンジンを作るということがまた驚異的な事ですが、HOT-DOCKのオーナー河北 啓二さんはこの偉業を成し遂げた方です。
河北 啓二さんがハーレーを初めて買ったのは1970年、ショベルローライダーだったそうです。
中古車が市場に出るほどハーレーの数が国内になかった時代なので、新車で購入、でもカスタムしたくて仕方なかったといいます。
ハーレーを新車で購入するということでお金を使い果たし、カスタムパーツは視ているだけの存在、そこで結局は自分でカスタムしていました。
車の板金の仕事をしていたという経歴を持っているので、マフラーをきったり、フェンダーを加工するなど、最初からかなり高度なカスタムを行っていたのです。
この当時の方々はハーレーの中古すら出回る事がない時代、カスタムパーツの数も少なく、自分でカスタムしている方が非常に多かったのです。
オリジナルパーツ作りはお店の創業とほぼ同時
1985年東京モーターサイクルショーの際には、すでにオリジナルホイル、マフラーを出品していたということなので、創業からすぐにオリジナルパーツを作り始めていたということがわかります。
こういうパーツがあれば・・と考えるパーツを作っていたらいつの間にかオリジナルパーツがどんどん増えていき、HOT-DOCKはドンドン知名度を上げていったのです。
レースに参戦することがイコール、オリジナルパーツが充実することにつながっていったともいわれます。
レース量の車両を組むとき、走るということを経験しておくと、ミスが許されない世界なのだということを実感できる、それが非常に大きな技術の源となるのです。
こうしたレースの経験をしてきたことが、HOT-DOCKのスタッフたちのパーツ作り技術を向上させ、メカニックとしての地位を確立することにもつながりました。
クールブレーカーは技術と個性を競う場所
横浜で毎年開催されている日本最大のカスタムハーレーショー、クールブレーカーの温度を最初に取った佐藤由紀夫さんとの出会いも、河北 啓二さんにとって非常に大きなものとなったといいます。
東京モーターサイクルショー以外、自分たちが作ったカスタムバイクを展示できる所がない、でも制約が多い、もっと自由でハーレーのりが集まるショーをしたいと佐藤さん主導で進んでいたものが、佐藤さんが事故で亡くなり、葬儀の際奥様に遺志をついでほしいといわれ、自分たちでやろうと初めてのカスタムショーを行ったのだそうです。
こうした人との出会い、それにハーレーやパーツ、レースに対する熱い思いを持っているからこそ、HOT-DOCKという素晴らしいお店が成長していったんだと思います。